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アジアの「虫の視点」の言語文化が世界文明の構築に貢献する

2012/05/20 7:55 に Jun Inutsuka が投稿

去る2月25日(土)にジャカルタのナショナル大学日本研究所で開催された第2回「東南アジア=日本・社会文化学会」で「アジアの「虫の視点」の言語文化が世界文明の構築に貢献する」と題する基調講演を行いました。

さらに2月28日(水)にはインドネシア大学の人文学部でも公開講義を開催しました。

日本語とインドネシア語には、「神の視点」の言語文化と「虫の視点」の言語文化が共存しています。これは、これら二つの言語文化の極めて大きな特徴といってよいでしょう。さらに両者が連携すれば、混迷を深める現代文明が抱えている問題を乗り越えるうえで大きな貢献が可能である、と主張しました。

どちらも、日本語がよくできる研究者と学生たちの参加でしたので、基本的には日本語で話しましたが、分かりにくそうな表情が見られたときにはインドネシア語で補いましたので、よく理解してもらえたようです。合わせて300人ほどの聴衆が集まりました。

日本語とインドネシア語が似ている。これは、おそらく今まで誰も指摘したことがないはずです。両者の文法は欧米語を基準にしているから当然でしょう。

「神の視点」とか「虫の視点」といった言葉もはじめて聞く言葉のはずです。この言葉は金谷武洋さんの造語ですが、彼はもっぱら日本語を説明するために使っていました。しかも彼は「虫の視点」を強調しています。私は日本語に「神の視点」の言語もすでに定着していると考えており、その点で彼とは違います。当然ながら、インドネシア語にも同様のことが言えるのですが、このことはまだ誰も指摘しておりません。

また、同じように当然ですが、金谷さんは言語学者ですから文明論は展開しておりません。私は「神の視点」の言語文化と「虫の視点」の言語文化が文明にきわめて大きく関わっていると思うようになり、これからもっと明らかにしていこうと考えています。

彼らは実に熱心に聞いてくれました。終わると、たくさんの質問、そしてコメントが出されました。実は、講演をはじめる前から、キーワードの一つである「神の視点」の「神」にインドネシアの人々がどのような反応を示すかという点に関心をもっておりました。というのは、インドネシアは「唯一至高の神」を建国5原則の最初に掲げている国だからです。案の定、「この国では「神」という言葉は慎重に使ったほうがいいですよ」というコメントが寄せられました。しかし、他の方に聞いてみると「問題ないですよ」という声のほうが多いことでした。これは意外でした。なお、これらの点については文明論としても見過ごせませんので、今月24日の第25回の研究会で報告します。(染谷)

以下の写真はインドネシア大学で開催された公開講義です。


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