去る1月21日に行われた第23回環流文明研究会の報告です。なお、今回発表された2件のレジュメは「公開文書」に掲載しております。ご質問がありましたら、「お問合わせ」にどうぞ。
第23回 環流文明研究会(共同研究会)は、予定通り、2012年1月21日(土)に法政大学新見附校舎304教室で行われました。出席者は(敬称略)池田、藤村薫、小関、神出、山下、犬塚、星野、末武、染谷(9名)でした。寒冷な日々が続いていることもあり、風邪、インフルエンザで病床に伏しているメンバーや大学の激務で急遽出席できなくなったメンバーからは事前にメールが届いておりました。くれぐれもご自愛ください。なお、法政大学の鈴村さんには今回の会議開催にあたり大変お世話になりました。改めて御礼を申し上げます。研究会と同じ時間帯に会議が重なり、出席できなかったのが残念でした。 最初に出版計画の現況についての報告(染谷)、続いて「優勢な技術文化・劣勢な精神文化―このアンバランスはなぜ生じるのか?バランスは取り戻せるのか?取り戻すにはどうしたらよいのか?」というテーマのもとに、 1. 「宗教離れ」した現代日本では「科学技術」が信仰の対象になったのではないか? 2. そうした社会では既成の宗教は劣勢に追いやられるのではないか?それと対照的なのは「唯一至高の神」を建国五原則の最初に掲げるインドネシアであること 3. 文明は人間を幸福にしてはじめて文明の名に値するとすれば現代文明に何が欠けているのか? という問題提起がなされ、さらに、 機械的、無機的、抽象的、普遍的、virtualで、利己的、独善的、この世的(現世的)、自力過信的、空中浮動的、強迫的、拡大的(膨張的)、科学技術過信的な「技術相」主導の現代文明と「神の視点」(金谷武洋)の言語(その最たるものが英語)との通底性が指摘された。そして「虫の視点」の言語(日本語、インドネシア語、ジャワ語、韓国語、中国語など)とそれに付随した文化による補正の必要性が提起された。「虫の視点」の言語文化は、還流の原理で動く自然に倣う、大地に密着した、家族や地域に基盤を置く、関係重視で、対話的で、地道で、木目の細かい文明に通底するという考えが提示されました(以上は染谷)。 それに対して、「虫の視点」の文化における科学技術の可能性はどうなのか、英語人は救われないのか、(明治以来の「脱亜入欧」に励んできた)日本人は「精神的混血児」ではないか、といった質問が出た。 続いて星野克美氏から「自然・精神・科学の統合:partI~「人間中心主義」から「自然中心主義」へ~」の発表があった。 そこでは、自然中心主義的原科学から人間中心主義的近代科学を経て自然中心主義的、生命中心主義的未来科学を展望。ヘーゲル、ホルクハイマー&アドルノ、リオタール、M.セール、P.ホーケン、E.モラン、J.E. ラブロック、F.W.J.シェリング、A.N.ホワイトヘッド、E.フッサールらを踏まえて論じた。自然支配による科学の頽落、「大きな物語」(啓蒙の物語)の終焉、近代科学の矛盾的功罪、自然精神の再生(自然契約思想、「自然資本」主義思想、地球運命共同体思想、地球生命圏思想、有機的自然思想、「自然・精神」の同一性思想、主体・客体の抱握(prehension)思想、自然と精神・身体の統合体としての「生きている世界(生活世界)」思想など)から未来科学を展望した。 現代世界を牽引する近代科学技術は今日、ますますその功と罪が明らかになっている。この科学技術がこのまま進行すれば、世界の危機はますます深刻になることは明白である。そうした現実を目の当たりにするにつけ、期待される未来の科学はどのようなものか、この発表で極めて明瞭に示された。 西洋起源の近代科学思想は、一見したところ、原科学に舞い戻りつつあるかに見えるが、明らかに、螺旋を描いて新たな次元へと展開している。この発表で明らかにされた西洋哲学や科学思想の悪戦苦闘は全く無意味ではない。悪戦苦闘はまだ続いているが、近代科学が極めて大きな罪過を犯してきただけにそれを償う未来科学に期待したい。 なお、発表に先立ち、1月18日の『朝日新聞』に掲載されたダニエル・コーエン氏の「経済成長という麻薬」(インタビューウァーは大野博人氏)は本研究会でこれまで議論されてきた(されている、されるであろう)ところと深い関連があることが報告された。とくに収奪を生む「経済成長」の終焉とそれに代わる「成長」に言及していること、また、最後の「人間と自然の新しい関係が登場する夜明けにいるのだとしたら突破口はあるかもしれない。さもなければ・・・。私自身、自問しているところだ」という言葉に注目したい。この・・・で彼は何を言いたかったのであろうか? |