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話題提供


無題

2014/02/20 1:22 に 染谷臣道 が投稿

第2回合同研究会の質問の一つに「なぜポルトガルはアフリカやアジアを征服できたのか?」というのがありました。それに対する回答が発表者の末武さんからありました。以下の通りです。
軍事力、特に海軍力の違い、そして、そもそもインド及びインドネシア側に、海軍を持つという発想が無かったと思います。
アラブ人が築いた東アフリカの要塞都市に関しては、現地人から弓矢と槍で攻められることしか想定していなく、大砲で攻められることを想定していなかったと思います。
島や交易拠点は別ですが、ポルトガルは大航海時代には後年英蘭に見られるような植民地支配を行っていません。アラブ商人に代わってポルトガル人が交易を独占したというところだと思います。
また、交易商品を持っていたことと持っていなかったことの違いもあると思います。インドやインドネシアには交易できる綿製品や香辛料があり、アラブ商人が勝手に向こうから交易品を持ってきました。それに対し、ヨーロッパは交易できる商品を持たず、軍事力を使った収奪しか方法が無かったのだと思います。
もちろん、染谷先生がご指摘の通り、アジアの人たちは、平和主義で、農耕民族的であり、それに対して、ヨーロッパ人は遊牧民族的であり、戦争によって収奪することが当たり前だったというのはその通りだと思います。
 
以上。(2014年2月20日・染谷記)

野蛮から文明へという誤謬

2014/01/26 18:42 に 染谷臣道 が投稿

昨日(2014.1.26)の東京新聞で北大の山口二郎教授が「歴史に学べるか?」というコラムを書いていました。その最後で彼は「野蛮の道を続けるか、文明の道に転進するのか」と問いかけています。このコラムの趣旨である「歴史に学べ」という彼の主張に異論を差し挟む人はいないはずです。問題は「野蛮から文明へ」という19世紀の語り口をまだ語り続けていることです。このような文明観はまだまだ一般的でしょうから(文明を研究する)私たちはそうした語り方に異議を唱える必要があります。なぜならそうした語り方では「文明」は「良き文化」と同一になってしまうからです。「文明の利器」ともてはやされた原発が同時に「文明の凶器」でもあることが明らかになった現在、もはや文明を「良き文化」とだけ見るのは時代遅れです。繰り返された大戦争を含め文明こそが実は「野蛮」を生んだのです。文明以前(それが人類史のほとんどですが)を野蛮と片付けるのは文明の驕りだったことをよく認識する必要があります。文明もまた野蛮なのです。むしろ野蛮のほうが野蛮ではなかったと思います。そうでなければ大した技術もない時代、とても生き延びることができなかったと思うからです。  2014年1月27日・染谷記)

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2013/08/16 18:38 に 染谷臣道 が投稿

静岡の田舎町からお尋ねします
 
私(染谷)が住む静岡県島田市は大井川を挟んでまたがる、人口10万人ののどかな小さな町です。南北に長く伸びる町で、北のほうは山ばかり、南のほうは茶畑とたんぼが広がる田舎町です。。目立った製造業がないために、多くの若者は都会に移住。過疎化が進み、商店街はひっそりとしています。貧乏な町。日本のあちこちで見られる町の一つです。
 
過疎化、少子化、高齢化、低税収。何とかしなくちゃ、という声はあちこちから聞こえます。そんなとき、どうしても過去の栄光の再現を夢見ます。具体的にイメージできるのはまだ記憶に鮮明なつい「昨日」の事実ですから無理もありません。
 
しかし、どうなのでしょうか、その夢は実現可能なのでしょうか?もしかりに実現したら、まだあちこちに残る自然はますます破壊され、まるで東京のようになるでしょう。それで人々は幸せになるのでしょうか。試しに東京の人に訊いたらどうでしょうか、と提案したくなります。むしろ発想の転換が必要ではないかと思いますが、皆さんはどうお考えになりますか?
 
今年5月末に誕生した新市長は「ゆめみらい100人会議」なるものを立ち上げ、広く市民の声を聞き、市政に反映させようとしています。その概要は島田市役所ホームページでご覧いただけます。島田市民の中には発想の転換を図り、島田市に今なお残る自然とともに生きる文化を再構築すべしという意見をもつ方もいるかもしれません。しかし高度成長の夢の再現を求める声も少なくないとも思われます。これは、こと島田市に限らず、日本全体の課題、さらに全人類の課題ですね。(2013年8月17日・染谷臣道・記
 
 
 

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2013/02/01 3:46 に Jun Inutsuka が投稿

先日、第2弾に関する私の提案に対する加藤久典さんから送られてきたコメントを送信しました。ちょっと分かりにくかったかもしれないと思い、補足します。
 
ご参考までに、加藤さんからのコメントを以下に張り付けておきます(*****以下の文章です)。
 
最初のジェパラ(ジャワ島中部、ジャワ海に面している漁村)の原発推進計画に対する反対運動が挙げられていますが、村民が反対する理由は「私たちはもう十分に生活できるのだから原発なんか要らない」というものです。そして「原発はジャカルタ(首都)の人たちのもの。私たちには何のかかわりもない」と言いきっています。
私(染谷)は加藤さんに質問しました。彼らは「もう十分」といっているけど電気はどう?、トランスポーテーションはどう?と。答えは、電気は通じているが暗いし、自家用車もないということでした。しかし「十分」というのです。加藤さんが「ローカルな文明(英知)」と呼んでいるその中身です。
私たちから見れば、決して「十分」とは言えないでしょう。しかし彼らは「十分」というのです。その違いは価値観の相違に起因します。ただ、どちらが「正しい」価値観かはにわかには判断できません。文化相対主義の観点からすれば、どちらにも軍配を挙げなければならないでしょう。
ただ、問題は、現代では文明の側に立つ人のほうが多いものですから、「暗い電気で満足している人のほうがおかしい」という価値観の持ち主が多数となります。正当化されます。
問題は、それでこれから立ち行けるのか、ということですね。「もう十分」という「文明的英知」を再考するよう、加藤さんは促しているのです。
後段については後日送信します。
 
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ご存じのように、ジェパラの反原発運動を通してはローカルな文明の「英知」を少し掘り下げることができました。その「英知」は、今まで「未開」「途上国」というレッテルを張られ顧みられないものでした。(植民地支配の遺産でしょう)しかし、その「英知」こそが「発展した”文明社会”」に生きる人類がもう一度顧みるべき価値だと私は感じています。日本の反原発運動に欠けているのは、こういった「英知に基づく価値」に対する取り組みの欠如のような気がします。

「自由」という思想についても、最近よく考えます。これはジョグジャカルタのスルタンを例にとってリサーチしたものですが、西洋的な自由主義からすると自由を否定するようなスルタン=知事というシステムです。しかし、ジョグジャカルタに受け継がれている「中庸」の思想は、現地の人々の生き方そのものに影響を与える核となる価値でもあります。これを、「非民主的=非自由」として切り捨ててしまっていいのか?という問いを私たちは忘れてはならないと思うのです。しかし、先生がおっしゃるように「自由」を否定することはできません。しかし、それを乗り越える力がきっと人間にはあるはずです。アウン・サン・スーチー女史の思想も一つのヒントになるような気がします。

還流の思想とは、柔軟な流れを私は連想します。柔軟というのは、オリジナルなものを現実に合わせて変換させていくことです。(構造主義的にと言ってもいいかもしれません)宗教はその重要な例だと思います。今年初めにジャカルタでリサーチしたイスラムグループは、イスラム教で禁じられている現生利益を求める祈りをアラー以外の聖人に捧げていました。つまり原理主義の否定です。原理主義を乗り越えるには、この柔軟さが必要なのかもしれません。そんなことを思いました。
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無題

2012/05/20 8:12 に Jun Inutsuka が投稿   [ 2018/07/21 7:57 に更新しました ]

今から1200年前、ジャワは仏教とヒンドゥー教の社会だった。仏教寺院であるボロブドゥールの一番下の「隠された基壇」には動物を殺した者が地獄に落ちることを描いたレリーフが何枚もある。折角苦労して育てた稲を食い荒らされてもそれを駆除できずただ見るだけの農夫の姿は痛みさえ感じる。不殺生の戒めを厳格に守っているのだろうが、作者はそういう教えに異議を唱えているとも解釈できる。ボロブドゥールが建立された後にジャワにはイスラームが入り、イスラム化が進んだ。
イドゥルアドハの供犠は動物蛋白をとらなければ生きていけない人間が考えに考えを重ねてたどり着いた屠殺なのかもしれない。生き物が生き物を食べて生きる生命連鎖も「環流」の一環である。輪廻という環流を説く仏教がそれを否定するのは矛盾ではなかろうか。「隠された基壇」では魚も鳥も捕らえてはならない、つまりいかなる動物も捕食してはならないと描いている。なお、「隠された基壇」については拙稿「「隠された基壇」から見たボロブドゥール」『比較文明研究』第16号、麗澤大学比較文明文化研究センター、2011をご覧ください。(染谷臣道)

 

無題

2011/09/19 21:40 に 染谷臣道 が投稿   [ 2018/07/21 8:02 に Jun Inutsuka さんが更新しました ]

考えてみれば、「現代文明以前」はゴミなどなかったということに気付きます。言い換えれば、ゴミは文明の産物、つまり文明が「吐き出すもの」ということになろうかと思います。その「吐きだしたもの」を再度、元の場所(つまり<外なる自然>)に戻すわけですが、そのためにまた莫大なエネルギーを使うという「余計なこと」をしています。しかしそれをしなければますます環境を悪化させますからしないわけにはいかない、したがって「余計なこと」とは言い切ることはできません。「現代文明」は相乗的に(必要な)「余計なこと」を増やしているようです。

自文化中心主義

2011/06/08 22:00 に user Super が投稿

私は心理学的に行動特性の5因子ということから文明や社会ステムを眺めているのですが、見田宗佑さんが「自尊感情」というのが一番強い感情であることを明らかにしたというようなことを読んだ記憶があります。
研究会で以前ご紹介したシュワルツの国際比較では20か国以上の人々の文化価値の中心に自尊感情が位置しています。
別の各国比較では、中国は5因子とは別に自尊感情だけが独立した一つの軸として抽出されたという研究がありました。

犬塚先生が前回配布された資料でも文明史観に自民族中心主義、文化構造論に人間中心主義が書かれております。

自尊感情、自分中心、自己・利己中心、自分を取り巻く身近なもの中心(自文化、自民族、自国、・・・)、そして自文明中心主義でしょうか?
このように見ると、火を使い始めた旧人類から農耕化、都市化・・・現代の文明まで、「自然を人間=自分の役に立つようにする」という文化(犬塚先生の資料)までもが一つのことに見えてきます。
その意味では星野先生が以前発表されていた「石器文明」のような段階から、やはり自分中心の「文化・文明」が開始されたということのようです。
火の利用から原子力の利用まで直線ですね。

自尊感情の反対は、「自分が生きる」ではなく、「生かされている自分」でしょうか?
染谷先生が今回の特集のテーマとして、以前、自然中心主義を上げられましたが、「自然によって生かされている自分や社会や文化・文明・・・」という転換が必要ということでしょうか?

ジャレット・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』でも、自然に生かされているという原理で形成された社会は脆弱で、自己中心的な競争的で強大な社会によって略奪され滅ぼされてきています。

メディアの話も、自己中心的な組織や社会の方が強力なメディアを持っていて、操作しているという話ですので、競争国家体制下の現代社会では、比較的自由なインターネットが対抗するための有力な手段であるとのご指摘もそのとおりであると思います。

一言が長くなってしまいましたが、「自然によって生かされている自分」という考え方が、自尊感情を中心とする5因子や文化価値の中にもあり、現代文明の欠点を克服する因子や文化価値として期待が持てると思っております。
まだ、そのつながりが理解できていませんが、人々の行動特性や文化価値の中に、ほぼ半分は、収奪文明から還流文明に転換する特性が存在することに、最後の希望を持っています。

池田誠

インドネシアの原発反対運動

2011/06/08 21:57 に user Super が投稿

インドネシアの原発反対運動については、長いことインドネシアに住んでいた加藤久典さん(大阪物療大学教員)から聞いていました。朝日の記事を読んで多分彼が後押ししているのかなと思いました。

彼の話を聞き、論文を読んで、彼が紹介している「私たちの生活は原発なしでも十分やっていけるから原発は要らない」という老人(原発建設予定地の漁村民)の話に、日本人との違いを感じたものでした。加藤さんはその老人が「ほどほどで結構」と言ったというのですが、この「ほどほどで結構」というジャワ語はジャワ心学の言葉ですので、関心を持った次第です。

彼にも話したのですが、そういう哲学をもっていたインドネシアでもおそらく若者はもう別の「哲学」の持ち主になっているのではないか、という疑問があります。新興国インドネシアは物質主義的「哲学」が急速に伸張しています。若者にとっては魅力を感じるはずです。

朝日の記事では原発が罪であるといったアミンさんは43歳とありました。年寄りでも若くもないのですが、彼は敬虔なムスリムのようですね。多分、ジャワ心学よりもイスラムに立脚した考えの持ち主なのでしょう。

物質主義に流されないインドネシアに期待したいところです。因みに昨年10月に行われた比較文明学会の研究例会で、インドネシア人大学教員と留学生を交えた討論形式の発表のタイトルは「流され、追われ、何も見えず―現代日本人の時間観」(『異文化交流』11号、20113、東海大学外国語教育センター、に掲載されました)でした。そこでも「『もう十分』という社会と『まだまだ』という社会」というサブタイトルで話しました。現代日本人は時間に追われているだけでなく、カネにも追われ、生活に追われ、ただひたすら働かされているように思います。高度成長以降、ますますスピードアップしているように思います。私たち日本人の「哲学」はどうしてこんなに変わってしまったのでしょうか。誰が変えたのでしょうか。還流を止めた巨大なパワーですね。

染谷

CO2排出量最悪

2011/06/08 21:48 に user Super が投稿

IEAが、2010年の世界CO2排出量が「306億トン」で、過去最高、最悪状態、と発表。

地球大気温度を「2℃」以下に抑えるには、CO2排出量を「2020年時点で320億トン」以下に削減することが必要。

現実の排出量は10年前倒しで、すでにこの限界水準に接近していることが危惧されている。

なお、「2℃」は、地球大気構造の非可逆的破壊の限界点とみられている。(2℃を超えると、元に戻れない)

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE1E2E2E7938DE1E3E2E7E0E2E3E39790E3E2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000

http://www.cnn.co.jp/business/30002922.html

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011053000787

http://news.yahoo.com/s/afp/20110530/ts_afp/warmingemissionsairpollutionclimate_20110530163752

星野克美

社会現象から(米国ユタ州)

2011/06/08 21:26 に user Super が投稿

いま多くの日本人は大震災&原発事故に関心が集中していますが(そのことも大問題です)、

いま、世界では、

1)途上国民主化運動(アフリカ、中東など)

2)石油危機(リビア空爆:上記関連、中国夏期停電など)

3)欧州・米国・日本財政危機

が同時に進行しています。

金価格上昇の事態は、エネ・資源危機、財政危機、資本主義危機を最も集約化してます。そこで、起きたのが、米国ユタ州の金・銀の法定通貨法制、金銀本位制復活か?・・・。

個人的印象ですが、"GreenPrediction"が、遠い未来の予測ではなく、すでに現実化しているように思われます。私たちは、資本主義文明が崩壊に向かう歴史的現実を、目の前に見ている、のではないでしょうか。

 http://www.nikkei.com/money/gold/toshimagold.aspx?g=DGXNASFK2500F_25042011000000&df=1

 http://www.sltrib.com/sltrib/home/50949183-76/gold-state-utah-coins.html.csp

 http://www.commodityonline.com/news/Gold-currency--Many-US-states-to-follow-Utah-39282-3-1.html

 http://finance.yahoo.com/blogs/daily-ticker/utah-goes-gold-state-puts-metal-coins-par-165924763.html

星野克美

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