第14回 共同研究会(比較文明・環流文明研究会)には早稲田大学の中山喬章君と倪晨緯君が参加しました。その後、中山君から研究会の感想が送られてきました。若い人のフレッシュな感想に、私は新しい刺激を受けましたので、本人の承諾を得てサイトに掲載します。
なお、中山君の話のなかに出てくる事項で必要かなと思う点について末尾に三つほどの注をつけておきました。(染谷)
************************************** 先日は比較文明学会に御招待いただきありがとうございました。
冒頭に染谷先生から“還流文明”に関するお話がありましたが、あの瞬間、僕の心に衝撃が走りました。 この世界には富や権力を独占している者、集団が多く存在しています。そして、現代の一般的な社会システムにおいては、ある者、ある集団が一度富や権力を所有してしまうと、それが長期間に渡って占有され続けてしまいます。金持ちは金持ちのまま、貧乏人はいつまでも貧乏人のままです。 もちろん、一度手に入れた富や権力を手放したくないというのは人間という生物に生まれた以上、逃れる事の出来ない性ですので、そういった者や集団を責めることは出来ませんが、富や権力が特定の人間や集団にいつまでも独占されるのではなく、一定期間の所有ののち、次の人間や集団に次々と受け渡されてゆくようであったならならなあと、僕は以前よりよく考えていました。 ですから、“還流文明”に関するお話を聞いたときは、自分と同じ考えを主張する動きがあったのだとわかり、僕はどこか救われたように感じました。最近では感じたことのない程の感動と興奮がありました。
僕は大学一年生の時にパプアニューギニアの一部の地域で行われている“クラ交易”(注1)について少しですが勉強しました。 もちろん天候の良し悪しや、時には所有したいという欲望に駆られてしまい、うまく回らなくなってしまうこともあるといわれています。しかし、海が荒れ、命を落とすという危険性があるにも関わらず、彼らはクラ交易をずっと続けてきました。彼らは命を賭けて、せっかく自分たちが手に入れた品物(と、それを所有しているという栄光)を次の島に回してゆくのです。そして、そうすることによって、クラ交易の行われている地域一帯の秩序が保たれ、人々は幸せに暮らすことが出来ているのだと僕は思います。クラ交易の行われている地域というのは、まさに“還流文明”が存在しているということが出来るのではないでしょうか。 収奪文明に関しては私たちは最先端を突き進んでいます。しかし、還流文明に関しては彼らの方がずっと先を進んでいると思います。 僕は勉強不足なので、クラ交易に関する研究がどの程度までなされているのか(クラ交易の起源や、クラ交易行われる前、彼らの生活はどのようなものであったのか)等に関しては知りません。もしかしたら、クラ交易がまだ存在しない頃、彼らは収奪を日々繰り返していたのかもしれません。仮にそうだとするならば、クラ交易の起源に関する研究は、私たちが収奪文明から還流文明に移行していく手助けになること間違いないと僕は思います。
後半の討論ですが、僕はこれまであれほどレベルの高い議論を見たことがありませんでした。圧倒されました。 僕も昔から、「将来の夢は何?」と聞かれたとき、決まって「世界を救うことだ」と答えていました。しかしそれは極めて漠然としていて、実際にまずは何から始めたらよいのか分からず、日々模索していました。 今回、世界を救うということを目標に掲げ、綿密な調査を行い、本気で議論している姿を目の当たりにして、これぞ僕がずっと探し続けてきた場所だと感じました。やはり時代は確実に動き始めているのでしょう。
問題を解決するにあたって、私たちに何が出来て何が出来ないのかを知っておくことは非常に大切だと思います。また、そのためには、まず現在の状況を正確に把握しなければなりません。 今回の発表で、今、世界が本当に危機的な状況にあるということをあらためて実感させられました。データの一つ一つがとても正確で、非常に信頼性の高いものでした。 なにより、石油がもうじき無くなろうとしているということが知られてしまうと都合の悪い団体でさえも石油はもう僅かしか残されていないという結論を導き出しているということは決定的な裏付けでしょう。 例えば、“石油が無くなったとしても天然ガスがあるじゃないか、発電には太陽エネルギーを利用すればいいのだ”といったように、現在地球上で使用されているエネルギー資源が枯渇したとしても、それに代わることのできるエネルギー資源はちゃんと存在する、現在の危機的状況を乗り越えることのできる高度な科学技術がちゃんと存在するという説を唱えている方は大勢いますが、それらはほんの気休めでしかなく、科学的根拠により簡単に否定されてしまうことがわかりました。 大変な状況にあるとはいえ、何とかなるのではないか、何か方法があるのではないかと一抹の希望を抱いてはいましたので結構ショックは大きかったです。 しかし、これからの時代を生きていかなければならない人間として、どんなに辛い現実であれ、それを事実として受け入れ、向き合っていかなければなりません。
また、仮に高度な科学技術によって、今現在人類が直面しているさしあたっての危機というものが回避されることがあったとしても、それはやはり一時的なものでしかなく、いつかはまた同様の危機に直面することでしょう。いや、これまでの歴史を振り返ってみれば、現在人類が直面しているよりももっと甚大な危機に直面することが予想されます。
ですから、現在人類が直面している危機を回避するためには、高度な科学技術でもって乗り切るのではなく、他の何か別の、科学技術を進歩させるのとは全く別の方向性のもので乗り切っていかなければならないのではないかと思います。 僕は、これからの世の中活躍できるのは、可視の科学技術ではなく、実体はないけれども人間の心に大きな影響を与えることのできる“文化的装置”(注2)ではないかと考えています。
ジャワ会(注3)の際に“オリエンタリズム”の話が出ました。オリエンタリズムに関しては大学で過去に勉強したことがあります。オリエンタリズムの著者のサイードはパレスチナ系アメリカ人なのに、なぜか僕はサウジアラビア人だと間違って覚えていたことが先日のジャワ会の時に判明したので、あれからオリエンタリズムに関して少し復習しました。オリエンタリズムという概念のもと、植民地支配を次々と進めてしまったのですから、やはりオリエンタリズムは人類史上で最も人間に影響を与えた文化的装置と言えると僕は思います。勿論、オリエンタリズムは良いものではないと思います。ただ、人類史上で最も人間に影響を与えた文化的装置であることに変わりはないと思います。 文化的装置というものは本当に大きな影響を与えうるのではないのでしょうか。 ならば文化的装置によって植民地支配を進めるのではなく、文化的装置によって地球環境の保全活動を進めるというのはどうでしょうか? 地球環境の保全は一刻の猶予もなく、もう今すぐ始めなければ間に合わないと思います。しかし、ただ地球環境の保全を訴えたり、保全活動を進めることよりも、何らかの文化的装置を作り上げ、それによって地球環境の保全を進めていくことのほうがより効果的ではないだろうかと思います。
今回、自分と同じ想いを抱いている方々がいることを知ることができて本当に嬉しかったです。お誘いをいただき、本当にありがとうございます。 僕は今のままでは皆様の何のお役にも立つことは出来ないかも知れませんが、もしよろしければ皆様の仲間に入れてください、今後も研究会に参加させて下さい!!
中山
注1 クラというのは、ニューギニア東部のトロブリアンド諸島で行われていた交易です。島々を航海して貴重品と日用品を交換する儀礼をともなった交易で、人々を結びつける社会的意義に大変大きいものがありました。マリノウスキーの長期にわたる人類学的調査で明らかにされました。この交易には単に経済的意義だけではなく文化的社会的意義もありました。現代文明における交易がもっぱら経済的意義が突出し、文化的社会的意義が失われていることを思い知るうえで貴重な研究だったと思います。
注2 中山君が「文化的装置」といっているのは、「言説」と置き換えても良いかと思います。オランダ人支配者に「お前たちは動物なんだ」と言われ続けているうちに「そうか、俺たちは動物なんだ。考える能力などない動物なんだ。手足を動かして田圃を耕すことしかできない牛みたいな動物なんだと思うようになりました。」と語ってくれたジャワの古老の話は比較文明学会の基調講演でも話しました(「文明もまた環流の道を」87頁、『比較文明』26、2010、に収録されています)。 注3 ジャワ会というのは、月に一回、同じコミセンで行っている日本人と都内の大学で教鞭をとっているインドネシア人教員や留学生を集めた勉強会です。今年、インドネシアに留学を予定していると聞き、彼にこの会を紹介しました。前回はオリエンタリズムをめぐる議論を交わしました。
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