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インドネシアの原発反対運動

2011/06/08 21:57 に ユーザー不明 が投稿

インドネシアの原発反対運動については、長いことインドネシアに住んでいた加藤久典さん(大阪物療大学教員)から聞いていました。朝日の記事を読んで多分彼が後押ししているのかなと思いました。

彼の話を聞き、論文を読んで、彼が紹介している「私たちの生活は原発なしでも十分やっていけるから原発は要らない」という老人(原発建設予定地の漁村民)の話に、日本人との違いを感じたものでした。加藤さんはその老人が「ほどほどで結構」と言ったというのですが、この「ほどほどで結構」というジャワ語はジャワ心学の言葉ですので、関心を持った次第です。

彼にも話したのですが、そういう哲学をもっていたインドネシアでもおそらく若者はもう別の「哲学」の持ち主になっているのではないか、という疑問があります。新興国インドネシアは物質主義的「哲学」が急速に伸張しています。若者にとっては魅力を感じるはずです。

朝日の記事では原発が罪であるといったアミンさんは43歳とありました。年寄りでも若くもないのですが、彼は敬虔なムスリムのようですね。多分、ジャワ心学よりもイスラムに立脚した考えの持ち主なのでしょう。

物質主義に流されないインドネシアに期待したいところです。因みに昨年10月に行われた比較文明学会の研究例会で、インドネシア人大学教員と留学生を交えた討論形式の発表のタイトルは「流され、追われ、何も見えず―現代日本人の時間観」(『異文化交流』11号、20113、東海大学外国語教育センター、に掲載されました)でした。そこでも「『もう十分』という社会と『まだまだ』という社会」というサブタイトルで話しました。現代日本人は時間に追われているだけでなく、カネにも追われ、生活に追われ、ただひたすら働かされているように思います。高度成長以降、ますますスピードアップしているように思います。私たち日本人の「哲学」はどうしてこんなに変わってしまったのでしょうか。誰が変えたのでしょうか。還流を止めた巨大なパワーですね。

染谷

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