今から1200年前、ジャワは仏教とヒンドゥー教の社会だった。仏教寺院であるボロブドゥールの一番下の「隠された基壇」には動物を殺した者が地獄に落ちることを描いたレリーフが何枚もある。折角苦労して育てた稲を食い荒らされてもそれを駆除できずただ見るだけの農夫の姿は痛みさえ感じる。不殺生の戒めを厳格に守っているのだろうが、作者はそういう教えに異議を唱えているとも解釈できる。ボロブドゥールが建立された後にジャワにはイスラームが入り、イスラム化が進んだ。 イドゥルアドハの供犠は動物蛋白をとらなければ生きていけない人間が考えに考えを重ねてたどり着いた屠殺なのかもしれない。生き物が生き物を食べて生きる生命連鎖も「環流」の一環である。輪廻という環流を説く仏教がそれを否定するのは矛盾ではなかろうか。「隠された基壇」では魚も鳥も捕らえてはならない、つまりいかなる動物も捕食してはならないと描いている。なお、「隠された基壇」については拙稿「「隠された基壇」から見たボロブドゥール」『比較文明研究』第16号、麗澤大学比較文明文化研究センター、2011をご覧ください。(染谷臣道)
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