私は心理学的に行動特性の5因子ということから文明や社会ステムを眺めているのですが、見田宗佑さんが「自尊感情」というのが一番強い感情であることを明らかにしたというようなことを読んだ記憶があります。 研究会で以前ご紹介したシュワルツの国際比較では20か国以上の人々の文化価値の中心に自尊感情が位置しています。 別の各国比較では、中国は5因子とは別に自尊感情だけが独立した一つの軸として抽出されたという研究がありました。 犬塚先生が前回配布された資料でも文明史観に自民族中心主義、文化構造論に人間中心主義が書かれております。 自尊感情、自分中心、自己・利己中心、自分を取り巻く身近なもの中心(自文化、自民族、自国、・・・)、そして自文明中心主義でしょうか? このように見ると、火を使い始めた旧人類から農耕化、都市化・・・現代の文明まで、「自然を人間=自分の役に立つようにする」という文化(犬塚先生の資料)までもが一つのことに見えてきます。 その意味では星野先生が以前発表されていた「石器文明」のような段階から、やはり自分中心の「文化・文明」が開始されたということのようです。 火の利用から原子力の利用まで直線ですね。 自尊感情の反対は、「自分が生きる」ではなく、「生かされている自分」でしょうか? 染谷先生が今回の特集のテーマとして、以前、自然中心主義を上げられましたが、「自然によって生かされている自分や社会や文化・文明・・・」という転換が必要ということでしょうか? ジャレット・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』でも、自然に生かされているという原理で形成された社会は脆弱で、自己中心的な競争的で強大な社会によって略奪され滅ぼされてきています。 メディアの話も、自己中心的な組織や社会の方が強力なメディアを持っていて、操作しているという話ですので、競争国家体制下の現代社会では、比較的自由なインターネットが対抗するための有力な手段であるとのご指摘もそのとおりであると思います。 一言が長くなってしまいましたが、「自然によって生かされている自分」という考え方が、自尊感情を中心とする5因子や文化価値の中にもあり、現代文明の欠点を克服する因子や文化価値として期待が持てると思っております。 まだ、そのつながりが理解できていませんが、人々の行動特性や文化価値の中に、ほぼ半分は、収奪文明から還流文明に転換する特性が存在することに、最後の希望を持っています。 池田誠 |