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第16回 比較文明・環流文明研究会報告

2011/06/16 21:47 に 染谷臣道 が投稿   [ 2011/06/20 8:58 に user Super さんが更新しました ]
第16回共同研究会は6月11日(土)午後4時から三鷹市・駅前コミセンで行われました。

濱田陽さんが「共有文明を構想する」と題して発表しました。

出席者は(敬称略)濱田、池田、星野、中山、杉本、近藤、小関、神出、染谷(の9名)でした。天候不順のためか急病で出席できなくなった方などが数名おりました。一日も早い健康回復を祈ります。

今回の発表はじつに盛り沢山で、用意された資料の半分が発表されただけですが、それでも時間が足りなかったのが、いつものことですが、残念でした。

濱田さんの今回の発表のキーワードは「ともにもつ」でした。これはますます進む「占有」を乗り越えるために掲げられるべき目標かと思います。

興味深いことは「ともにもつ」ことによって「価値が増える」という点です。

ここでいう「価値」とは物質的価値を含む総体としての「価値」ですね。諸々の価値を合わせた価値ですね。

環流文明を構築するにあたり、その方向性を示す哲学として非常に有効な提言ではないかと思います。

ただ、物質主義(モノ主義)的文明にどっぷり浸かってしまっている現代人には理解しにくい哲学でしょう。それゆえ、理解してもらうだけでも相当な時間が必要かと思います。

ただ、モノ不足(資源の枯渇やエネルギーの低減)という制約状況は目の前に迫ってきておりますので、それが深刻の度を増すにつれてこの哲学は理解されやすくなるかと思います。

あるいは、依然としてめどが立たない今回の原発事故に遭遇してはじめて原発の恐ろしさを知った、つまり痛い目にあってはじめて気がつくという事態を考えると、この哲学が理解されるのは痛い目にあってからかもしれません。

ところで、濱田さんの話を聞いていて何となく「なつかしさ」を感じていました。かつて私たちの祖先が歩んだ道ではなかったかと感じたからです。チンパンジーが茜を口にしているランガムやグドールらの研究を含むバイオミミクリーに関してコメントしましたが、チンパンジーがしていたようなことは私たちの祖先も太古の昔からつい最近まで行っていたのです。近代科学(医学)がいつの間にかそれを消し去ってしまった、余計なことをしたわけです。

かつて文明をもつ前、あるいは農耕を始める前、人類は「ともにもつ」文化を生きていたのではないでしょうか。文明主義者とくに近代文明中心主義者である私たちはそうした文明以前の文化を「未開」と呼び、「野蛮」と呼び、蔑視し、価値なしと見做してきました。

今、私たちはそうした文明主義、近代文明中心主義から自らを開放するときではないでしょうか。

近代文明はかつてのそうした「未開文化」を「自然」と同一視し、下等なものと見做してきました。その結果が大気汚染であり、海洋汚染であり、人心汚染です。

大地と海洋と大気という自然が礎です。それを下等とみなす文明に将来は任せられない。「自然の、自然による、自然のための文明」という文明が構築されることなく将来はないと思います。

濱田さんの提言は貴重なものと思います。

ここでコメントを一つ述べておきます。濱田さんは「共有」を「ともにもつ」という意味で使っています。私は「もつ」という他動詞に若干の違和感を感じています。むしろ「ともにある(いる)」という自動詞も必要ではないか、と思います。とくに他動詞より自動詞を好んで使う日本人には「ともにある(いる)」方も強調してほしいですね。

「ともにもつ」以前に「ともにある(いる)」という感覚が先行していたのではないか、私の遺伝子にはそのように書き込まれているようです(笑い)。


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