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先日の合同研究会に参加した木下さんから

2011/10/26 17:12 に 染谷臣道 が投稿
10月22日に行われた合同研究会に参加した木下純平さん(茶窓代表・立教大学大学院超域文化学専攻博士後期課程)が討議されたことに対して以下のような疑問を投げ掛けてくれました。非常に刺激に富む質問でありコメントであると思いますので、本人の許諾を得て以下に転載します。是非、活発な議論を展開してください。
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木下さんからの質問とコメント

昨日の発表と討論、また伊東先生のお話も拝聴でき大変有意義な時間をすごさせていただきました。

 

発表では資源の枯渇に対し、文明の転換、自立的文明などがあったかと思います。そして基本的にはアメリカや日本などすでに経済的に豊かな国々ががどのような道を歩むべきかという話に向かったかと思われます。

 

しかし、世界の人口の大半をしめる経済的にはまだ低い状態にあるユーラシアの国々やアフリカなどの国々に、そのような理想を受け入れるような余裕もない、というよりも多くがほぼ自立的な社会のまま現在にいたり、人々はこれからよくなることを夢見ています。

 

そのため、その他の世界の全ての国々や人々が認識を共有し実行に移すというのは不可能ではないか、そしてそれは歩いて越えることのできる国境を持たない日本ゆえに考えられることではないのかと思われてなりません。

 

日本の社会についてもですが、「大地」に根ざしたということもよく分かります。しかし、それも会社で働き、家のローンが30年もあるような人々に20年後に資源が枯渇するから近いうちに田舎で農家になってくれとは

とてもじゃないですがいえないかと思います。また、世界を相手にしている企業が国家間の調整も実現性もないままに舵を切ることはできないというのが現実だと思います。

 

人々の生活にとって絆や結びつきの必要性もよく分かります。そして都心部で暮らす多くの人々に失われていると思いますが、郷土との結びつきの強い持続的な社会は構築(再構築)しなければ、ならないと考えています。

 

しかし、一度郷土との結びつきが切れてしまい、それを他の土地で再構築することができるのかとなるとそれも難しいように思えてなりません。現在も様々な地域のコミュニティーや集まりなどはあると思いますが、氏子組織のように世代間を越えて次の世代やその次の世代まで受け継がれ続けるとも思えないという問題があると思います。

 

そして、いやならすぐにやめることのできるという点でも、コミュニティーですら討論でも出てきた「記号化」されたものに過ぎず、神を媒介とした強力な連帯感をもつ組織にはなり得ないのではないかと考えられます。

 

地震後の絆や連帯感についても一過性のものに過ぎないと考えられ、子の世代までは受け継がれることはないと思われます。

 

このように考えていくと、光明が見えないように思えてきてしまいますが、人間はカタストロフィー(具体的には不明ですが。。)があったとしてもその時の状況に順応し、二世代も立てば当たり前になってしまうだろうと

楽観的に考えていますが。

 

私事ですが、個々10数年で60カ国以上を個人で旅行しており、そこで暮らす庶民の人々とよく話をするのですが、いつも彼らの生活にとって一番いいことは何なのだろう、そしてその解決方法とはなんであろうかと考えさせられてなりません。

 

博士後期課程に所属しているのですが、まだまだ学識も浅く、まとまりもないのですが、もしお邪魔でなければ「環流文明研究会」にも参加させていただき、お話をいろいろとお聞かせいただきたいと思います。(10月23日)

 

木下さんの問いかけに対する染谷の返答

先進国と途上国の事情は大きく異なります。そうした違いを生んだのは、この前もちょっと触れましたが、500年前に始まった、近代文明を武器にした西洋諸国による非西洋諸国からの収奪です。それが延々と今も続いているのです。

 

私は「文明」そのものが収奪性をもった(広義の)文化と考えています。その収奪性はとくに近代文明(現代文明)において世界化し、大規模化し、激化したわけです。私の文明論はこのサイトで読めます。

 

かつて欧米諸国に収奪された途上国は現在、さまざまな援助を受け、外資を導入して経済発展を遂げており、確かに以前より豊かになっています。しかしここでも収奪が見られます。その証拠に、途上国以上に先進国はますます豊かになっているではありませんか。

 

私は「文明」は本質的に収奪性を持っていると見ます。「文明」以前の文化(かつて「未開文化」と呼ばれていた文化です)と比較すればそれは一目瞭然です。収奪性なしの文明はあり得ない。ですから収奪性は原罪といってよいでしょう。

 

「未開文化」はもう事実上存在しません。しかしアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど、痕跡は随所に見られますね。

 

現代文明は、アメリカから始まった反格差デモが示しているように、極に達しつつあるように思います。このまま進めば、人類社会は崩壊するでしょう。

 

そのカタストロフィーを回避するには収奪性を弱める以外にないのではないかと思います。それを「環流文明」という言葉で表現しています。

 

「大地系」いう言葉が出てきました。木下さんはローンを組んで家を建てた人には無理という意見でした。その通りですね。しかしこれからの世界を考えたとき、果たして今までのような、あるいは、現行のような生き方でいいのか、という疑問があります。「大地系」という考え方がその一助になればいいと思います。

 

木下さんは世界のあちこちを歩いてきたとのこと、そうした経験を踏まえ、また実業の世界で活躍しているという経験も踏まえ、積極的に発言してくれることを歓迎します。私たちの研究会は、入るのも出るのも自由です。年齢もさまざまです。現に早稲田の学部生も入っています(現在彼はジャカルタにいます。環流文明研究会のサイトで連載している神鷲奇譚を送ってくれているのは彼です)。職業もさまざまです。共通するのは現代文明に対する危機感だけです。(10月24日)

 

 

 
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